元スノーボード選手 成田 童夢(34)さんにインタビュー!

YTJが注目するアスリートに迫る「YTJ Pick up Athlete」。今回は、2006年のトリノオリンピックに出場した成田童夢さん。引退後も自身の経験を生かし、若い世代への啓蒙活動を活発に行っている成田さんに迫ります。
元スノーボード選手 成田 童夢(34)さんにインタビュー!

スノーボードって?
サーフィンやスケートボードのように横向きになって板に乗り、雪の斜面を滑るスポーツ。“フリーラン”と呼ばれる自由に滑るスタイルが基本となり、競技の中では、フリースタイル、アルペン(アルパイン)、スノーボードクロスの3つに分けられる。

プロゴルファー 中山綾香さんにインタビュー!― スノーボードを始めたキッカケを教えてください。

父親が趣味でスキーをやっていた関係で、私も5歳の頃からスキーをやっていたんですけど、8歳の時に家族旅行でカナダに行って子供用のスノーボードに出会ったんです。当時はまだスノーボード自体があまり浸透していなくて、子供用なんて見たこともなくて。試しにやってみたらすごく楽しくて、そこで父親におねだりしてスノーボードを買ってもらいました。帰国してからは長野県の白馬まで滑りに行き、そこでスノーボードの大会が開催されていて、父に「大会に出ろ」と言われたんです。まだスノーボードを始めて1週間くらいだったんですけど(笑)。大会に出たら、当時子供でスノーボードをやっている人がいなかったこともあって、スノーボードメーカーの方の目に止まり、スポンサーをさせてほしいというお話をいただいて、本格的にスノーボードに打ち込むようになりました。そこから練習を重ね、15 歳の時にプロになったんですけど、ここが自分の中のターニングポイントで。中学卒業後の進路を決める時に、コーチをやってくれていた父親から2つの選択肢を告げられたのですが、1つ目は“スノーボードを辞めて高校に進学する”、2つ目が“高校に進学するのを辞めてスノーボードを続ける”というものだったんです。“学業と並行してやるなんてお金をもらっているスポンサーに失礼だ”と。ただその時私はアニメや漫画が好きだったので“声優”という職業に憧れを持っていたんですね。それを父親に言ったら「オリンピックに行ったらお前の好きなことをやってもいいぞ」と言われて(笑)。そこで私もスノーボードを続けることを決め、ワールドカップで1位になってオリンピック行きが決まったという感じです。もうその時には“声優”という目標は忘れてただただオリンピックに出場することが目標になっていましたね。

― オリンピック終了後はどうされていたのですか?

その時はオリンピックに行くことが目標だったので、オリンピックが終わってから何をすればいいのかがわからなくなってしまいました。燃え尽き症候群みたいな感じがずっと続いていたんです。でもスノーボード自体は引退していなくて。そんな時に同じくスノーボードをやっていた弟が、スノーボードの練習をしている私を久々に訪ねて来たんですね。そこで私は先輩風を吹かして相談に乗ったりしていたのですが、弟は私の目の前で、オリンピックで優勝した選手しかできなかった技を一発で決めたんですよ。それを見てもう時代は変わったんだなと思ってスノーボード選手を引退しました。その後はアイドルのプロデュースをしたりしたのですが、その時プロデュースをしていたアイドルの子と将来の夢について話した時に、1人の子が「声優になりたい」って言ったんですよ。そこで私も“声優になりたくてオリンピックに行ったんだ”ということを思い出して、そこから再起して声優の学校に通い始めました。そんなことをしていたらテレビのバラエティ番組にも呼ばれるようになって、『ONE PIECE』の声優をやらせていただいたんです。そういった経験も活かして今は、老若男女に楽しんでもらえる“アニソンDJ”というものを始めてイベントに出たり、小学校に出向いたりしています。

― 成田さんが思うスノーボードの魅力は?

自己表現が最大限にできることですかね。フリースタイルだと規定の動きはないんですよ。いかにかっこいいかなんです。私は一般的なかっこいいスノーボーダーよりももっとライトな“スノボちゃん”っていう感じで(笑)。もっと世間一般的に雪の楽しみ方としてスノーボードがあるんだということを広めていきたいと思っています。

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